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京都地方裁判所 昭和50年(ワ)1166号 判決 1980年8月22日

原告

田中秀治

右訴訟代理人

中村愈

中村吉郎

被告

医療法人

社団育成会

右代表者理事

久野敏人

右訴訟代理人

中元視暉輔

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

第一事実経過

一<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

(一)  原告の受傷日である昭和四七年四月一四日から久野病院を退院した同年七月一六日までの期間の原告の状態は、別表「被告の主張」欄及び「追加又は修正認定」欄記載のとおりである。

<証拠判断略>、乙第二号証中の同年六月一九日付部分にはなお頭痛がある旨の記載があるが、<証拠>を総合すると、右記載は藤村医師が原告の通学していた学校に提出するための診断書の内容として頸痛(項部痛)と書くべきところ頭痛と書く方がわかりやすいと判断してその旨診断書に記載したうえ診療録(乙第二号証)中にも診断書の心覚えとして記載したもので、同年四月二八日から同年五月一五日にあつた頭痛及び頭重が軽快する傾向を示し同月一八日以降は項部痛(頸痛)があるものの頭痛及び頭重がなかつたことが認められる。

(二)  原告は、久野病院退院後、頸椎捻挫の治療のため同年七月一八日から同年九月一九日までの間同病院に通院し(七月は一一日間、八月は一七日間、九月は六日間)頸部牽引とマッサージの物理療法を欠かさず受けていたが、この間頭痛はなく、瞳光対光反応、膝蓋腱反射には異常が認められず、食欲もあり、全身運動も正常にできるようになり、頸椎捻挫の症状と思われる項部痛及び頸部後屈運動制限も右物理療法の結果次第に消失してゆき、言語機能に関しては同年八月一八日には「かえる」「ほん」などと言えるようになり、同月三一日にはゆつくりなら自分の名前を言えるようになるなど遅々としたものであつたが改善の傾向がみられた。

二<証拠>を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  原告は、失語症の回復が思わしくなかつたので、昭和四七年九月二八日府立医大で診察を受けた。相当医師小竹源也の同日の診断では、全身状態良好、頭痛なく、意識明瞭、視力・視野は正常で、眼底にうつ血乳頭を認めず、瞳光及びその対光反応に異常なく、顔面運動麻痺なく、聴力正常、筋肉に異常なく、小脳及び背髄に基因する異常なく、深部腱反射正常、病的反射(パビンスキー、ロッソリーモ各反射)なしというもので、失語症のみが認められた。

(二)  右同日の失語症の症状は次のとおりである。

発語は概ね困難であるが簡単な言葉や日常会話は少しでき、又、雑誌を見て所々声を出して読むことができる。書字及び読字は概ね良好である。聞き取りは読字に比べやや劣るが理解力は概ね良好である。左右失認及び指の名称の失認が認められる。結局、運動性失語症を主体とし軽度の感覚性失語症を伴うと診断された。

(三)  なお、同日、単純X線写真撮影、脳波検査、腰椎穿刺が施行され、脳波検査の結果左電圧が右電圧に比較してかなり低いとの所見が得られたため、同年一〇月三日同医大で左頸部からの脳血管造影術が施行された。その結果左硬膜下に無血管野が認められること、前大脳動脈の右方への偏位はあるかなしか位であることなどの所見が得られ、これまでの診断結果を総合して一応両側性慢性硬膜下血腫と診断された。担当医師はその剔出及び右側頭部等の病変の有無の確認のため、同月四日原告を同医大に入院させて同月五日、六日の両日に亘り右頸部からの脳血管造影術、腰椎穿刺、脳スキャンなどの検査を施行し、その結果右側頭部については薄い硬膜下血腫の存在する疑いがあるにすぎないと診断された。

(四)  原告は同四七年一〇月九日午前九時四〇分ころから午後〇時二〇分ころにかけて左側頭開頭による左硬膜下血腫剔出手術を受けた。

手術所見は次のとおりである。

硬膜に切開を加えると直下に薄桃色の外膜に被われた硬膜下血腫が左大脳半球上に認められた。これを穿刺すると内容量約三〇ミリリットルの血液を含む黄色い液がえられた。血腫の内膜は外膜より白く厚さ約一ミリメートルであつた。硬膜から大脳皮質までは約二センチメートルの深さがあり血腫の範囲はほぼ左大脳半球全域に及ぶものであつた。大脳皮質には全域に黄色い色素(血性色素)の沈着がみられ柔く萎縮した嚢胞様の部分や強い抵抗のあるグリオーシス(神経膠症、一種の瘢痕)様の部分が認められた。

(五)  手術後の同日午後二時一五分ころ、原告は意識明瞭で「薬をくれ」と言い、同日午後四時ころ、「のみたい」「水」「田中」と言うなど言語発声が多くなつたが、同月一一日には手術後に比較して言語発声が少なくなり手術前と同様になつた。原告は同月三一日同病院を退院したが、この間言語機能は徐々に回復する傾向がみられた。退院時は、左右失認はまだ少しあるが、正確に話せる比率が高くなり、自発語は活発に出るが質問すると答え難いことが多い状態であつた。

(六)  原告は、同病院退院後の同年一一月から専門的な言語治療士(スピーチセラピスト)のいる星ケ丘厚生年金病院に約二年間通い徐々に言語機能を回復し現在では、職場や寮での生活、レジャー生活などの日常会話に不自由はないが負傷前程の言語機能の回復は認められない。

(七)  昭和四八年七月二四日原告は府立医大で左頸部からの脳血管造影術を受けたが、その結果硬膜下血腫は認められないが大脳皮質の局部的萎縮と推察される無血管野が認められている。

第二一般知見

<証拠>を総合すると、以下の知見が認められる。

一硬膜下血腫

硬膜下血腫とは、硬膜とクモ膜との間(硬膜下腔)に血腫を生ずるもので、頭部外傷との関連において血腫成長の速さや症状発現の模様などから通常、急性、亜急性、慢性の三型態に区分される。急性硬膜下血腫は、受傷から三日位までの時期に発症するものをいい、死亡率は約五〇パーセントと予後は極めて悪い。亜急性硬膜下血腫は、論者によつて発症時期も死亡率も異なるが、加藤静雄の著書(乙第五号証)によれば受傷から三日以後六週以内に発症するものをいい死亡率は約一五ないし三〇パーセントである。慢性硬膜下血腫は、それ以後に発症するものをいい死亡率はほとんどなく予後は極めて良い。急性亜急性型は、通常外傷性で重篤な頭部外傷例に見られ、血腫は凝血を主体とし血腫を取り囲む被膜の有無については見解が分かれるが、硬膜下血腫というより硬膜下出血と表現する方が適切である。

二慢性硬膜下血腫

1  形態、内容物等

慢性硬膜下血腫(以下本疾患という。)は、硬膜下腔(ないしは硬膜内皮下層)の血腫で全周を被膜に取り囲まれた血性液である。血腫は、中央部において最も厚く周辺部にゆくに従つて薄い。血腫の内容物は色々であつて、血塊又は赤血球を主体とする血性液に限るものではない。血腫の内容量は、かなりまちまちであるが、少くとも血腫としての症状を示すにはほぼ二五ミリリットル以上が必要であるといわれており、平均五〇ないし一〇〇ミリリットルであるが、一五〇ミリリットル以上に達することもある。なお、血腫の内容量は、一般に時間的経過に従い徐々に又は急速に増大するとされるが、少数例では次第に縮少し、ついには消滅するものもある。血腫の被膜は、硬膜に接する厚い外膜とクモ膜に接する薄い内膜とから成り、血腫の周辺部では内外両膜は一枚の被膜に融合し更に薄いひだの様になつて拡がりやがて消滅する。外膜は、硬膜との間に僅かの腔を有し細小血管の連絡をもつているが、内膜はクモ膜との組織的連絡を持たない。内外両膜は、硬膜内皮層から発生した新生膜即ち硬膜内皮下層であるとされる。

2  発生機序

現在でも、本疾患の発生機序は争われている。

(1) 前掲加藤静雄の著書によれば以下のとおりである。

本疾患は、硬膜内皮層の出血性内硬膜炎(P・H・I)が基盤となり、増殖した内皮下層(血腫被膜)の層間に繰り返し出血をおこし血腫となるもので硬膜下腔に貯つた凝血が硬膜の関与なしにそれ自体器質化してできあがるものではない。

発生因子として、血管循環系・血液疾患、代謝性疾患、中毒、アレルギー、感染、脳腫痕、脳退行性萎縮性疾患、てんかん、職業的ボクサーが受けるような繰り返しおこつた頭部外傷などがありうる。ただ一回のしかも取るに足りない程の軽症頭部外傷によつてP・H・Iなどが比較的短期間におこるなどということは考えられない。純外傷性の硬膜下腔への大出血が被膜を有する慢性硬膜下血腫を形成しうるかという問題については、その大半の例は死亡するであろうし、生存例においては被膜形成も可能かも知れないが、血腫は吸収消失の方向に進む可能性が大きいと考えるので、結局極めてまれにのみありうると考える。

本疾患があるからといつて直ちに臨床症状が顕化するものではなく、脳実質の浮腫又は血腫の増大をおこす発症因子が必要である。発症因子としては、P・H・Iの条件次第では全く取るに足らないもので充分であり、咳、排便努責、激怒、飲酒、飛行機による気圧の変動等種々のものが発症因子となりうるが、この一つとして頭部外傷(軽症、重症を問わない。)があげられる。頭部外傷は発症因子として重大な役割を果たしていることは否めない。

(2) 佐野圭司外編著によれば以下のとおりである。

本疾患の発生は未知の要因αによる。未知の要因αを予め持つている人が頭部外傷によつてたとえ少量でも硬膜下に出血するとこの出血に対して硬膜の側から過度の組織反応がおこり、出血・血塊を包む被膜が形成されしかもその被膜内に再出血を繰り返す。それによつて血腫容積が増大してゆく。この要因αは本疾患の形成には大きな影響力を持つので現実的には頭部外傷は単なる引き金でしかなく、この疾患の発生頻度は要因αの頻度によつて左右される。右要因αについては、感染、中毒、アルコール中毒、心疾患、高血圧症、肝臓疾患、出血素因、消耗性疾患、ビタミン欠乏症、アレルギー毒、低髄液状態の持続、抗凝血剤の使用、血液凝固因子Ⅸの欠如、エストロゲンなどが考えられる。

3  頭部外傷との関連

本疾患の患者中、頭部外傷の既応歴のある者は諸家の報告により異なるが、鑑定証人串田良昌の証言によれば約八〇ないし九〇パーセントであり、前掲加藤静雄の著書によれば約三五パーセント、同佐野圭司の著書によれば約九〇パーセントであり、いずれにせよかなりの高率である。但し、その頭部外傷の程度は軽度のものが多く重篤なものは少ない。

この逆に、頭部外傷患者中本疾患に罹患した者は、諸家の報告により異なるが約0.003パーセントから約0.08パーセントまでと極めて低率である。

4  臨床症状

(一) 無症状期 一般に頭部外傷から本疾患の発症に至るまでには症状の見られない期間があり、東大の一三二の症例では、発症までの期間三〇日以内約六パーセント、同三一日以上六〇日以内約四五パーセント、同六一日以上九〇日以内約二六パーセント、同九一日以上六か月以内約一八パーセント、同六か月以降約五パーセントとなつている。

(二) 臨床症状 本疾患の臨床症状はかなり多彩であるが、頭蓋内圧亢進症状、神経症状、精神・意識障害の三種類にまとめて考えるのが便宜である。

(1) 頭蓋内圧亢進症状 頭痛、嘔気、嘔吐が最も普通に見られる症状である。そのほか常時頭痛を訴えることもあり、耳鳴、めまい、目がチラチラする、目がかすむ、目がぼやけるなど視聴覚関連の異常を訴えることもある。又、うつ血乳頭の出現率は五〇パーセント内外である。頭痛は毎朝おこつたり一日のうちに何回も繰り返したりあるいは飲酒後必ずおこつたりするが、全体の経過として一旦悪い時期があつてから寛解し、又悪くなるような波をもつ傾向を示す。しかし、総体的には週を追つて増悪する。これらの症状は、若年者ほど著名で病像のうち最も目立ちしかも初発症状である。

(2) 神経症状 一側性の運動又は感覚麻痺、錐体略徴候(腱反射亢進、病的腱反射など)が一側又は両側に認められることがある。

(3) 精神・意識障害 記憶力低下、物忘れ、思考判断力の低下などは最も普通に見られ、計算能力が低下したり話の内容が混乱することもある。時間・場所・対人に関する見当識又は指南力の低下まで至ると症状はかなり悪くなつていて、しばしば精神疾患と誤られる。その他、性格変化、失語症などが見られることがある。

(三) 臨床症状の発現頻度 東大の症例検討によると各症状の発現頻度は、一一才以上二〇才以下では頭蓋内圧亢進症状一〇〇パーセント、神経症状約四五パーセント、精神・意識障害〇パーセント、二一才以上三〇才以下でも頭蓋内圧亢進症状一〇〇パーセント、神経症状約六〇パーセント、精神・意識障害約二二パーセントである。

5  診断

(一) 本疾患の臨床症状が前記の如く多彩なことからその診断は難しくしばしば他の内科的症患とりわけ精神疾患と誤られることも多い。前掲佐野圭司の著書は、患者が男性でアルコール類を好み又はその常用者であり、既応歴として発症以前六か月以内に中等度以下の頭部外傷があり、初発症状として頭痛、嘔気などのほか目に関する訴えがあり、現症状として片麻痺、精神症状が病像の前面にあつて同時に何らかの頭蓋内圧亢進症状があり、特にうつ血乳頭が認められるような臨床像が確かめられたならば一応本疾患ではないかと考えて補助診断を行うべきである、という。

(二) 補助診断法として有力なものは、脳のCTスキャン(コンピュータ断層撮影法)、脳血管造影術の二つがあげられる。このいずれかの方法によればまず確定診断ができる。その他脳スキャン(放射性同位元素を用いる。)、超音波検査、脳波検査などがあげられるが、これらはスクリーニング的価値(ふるいわけ)以上のものを有するとはいえない。

(1) 脳のCTスキャンは、安全確実に本疾患の診断をなしうるので極めて有力であるが、この装置は未だ一般に普及しているとはいえない。

(2) 脳血管造影術は、通常左右頸動脈からウログラフィンなどの造影剤を注入しX線写真により脳血管領域を観察する方法であるが、この普及率は高く(久野病院においてもこの設備は整つていた。)、又、血腫の確定診断には右(1)と並んで不可欠ともいえる。

一側性の本疾患にあつては、その側に無血管野を認め通常前大脳動脈は反対側に偏位する。しかし、一側性の本疾患の場合でもその偏位が認められない場合もあり(本件原告もその一例である。)、又、両側性の本疾患の場合でもその偏位が認められる場合もあるので脳血管造影術の施行は両側について行うのが妥当である。同術の施行には約1.5パーセント程の低率ではあるが死亡等の合併症を見ることもあるので患者の身体状況を見極めて施行する必要があるが、現今の造影剤は副作用の少ないものが開発されているので造影剤の注入手技を慎重に行えば頭部外傷による意識障害から回復した後はほとんどの場合に施行してもさしつかえない。

三脳挫傷

脳挫傷とは、脳実質の器質的損傷をいいある程度以上の外力を被つた頭部外傷例には必発すると考えてよい。その症状は、脳の損傷部位、程度、範囲により多様な様相を呈する。大脳皮質の損傷がある場合その部位の神経細胞自体の回復は不可能であるが、その部位の有していた機能は限界があるが他の部位の神経細胞により代替しうる。

四失語症

大脳皮質の言語領野が侵されるために言語の表現や理解が障害されるものをいう。多くの立場から種々の分類がなされているが、典型的には運動性失語(ブローカー中枢の損傷)と感覚性失語(ウエルニッケ中枢の損傷)の二つがよく指摘される。前者は言語理解は可能であるが言語表現(発語)が特に障害されているものをいい、後者は言語が音として聞こえても言語としての理解が障害されるものを言う。大脳皮質の言語領野の侵され方、その範囲、程度により、多様な失語症が見られる。ブローカー中枢は大脳皮質の下前頭回の後部、前中心回の下部に接する部分にあり、通常とりわけ右利きの場合左側にある。

慢性硬膜下血腫で脳圧亢進症状を伴うことなく失語症だけが起ることは非常に稀である。

第三原告の失語症の原因と慢性硬膜下血腫の影響の有無

以上の事実及び知見に加え、<証拠>を勘案すると以下のとおり認められる。

一(原告の受傷時の主たる疾病) 昭和四七年四月一四日午後二時二三分ころ救急車で久野病院に搬入された時の原告の状況は重篤な脳幹部症状を呈しており、約二週間に亘り意識を回復しなかつたこと、事故直後の腰椎穿刺によれば脳脊髄圧は高く、髄液は血性混濁の状態であつたこと、同年一〇月九日に府立医大で血腫剔出手術を受けた際左側頭部の大脳皮質には血性色素が沈着し、嚢胞様の部分やグリオーシス様の部分が認められたことなどから、原告は本件事故により重篤な脳挫傷に罹患しこれが原告の主たる疾病であつたことが明らかである。又、左側頭部の大脳皮質には、血腫剔出手術の際右の様な病変が認められたほか、昭和四八年七月二四日にはその局部的萎縮があつたと推察される。

二(原告の失語症の態様) 原告の失語症は発語困難を主体とし左右失認及び指の名称失認もあるが理解力は概ね良好であり、ブローカー中枢の損傷が主体であつた。原告の意識回復時から現在までの言語機能の回復経過をみると、昭和四七年四月二八日ころ意識を回復しその当初から発語困難であつたが、久野病院に入通院していた同年九月一九日までの間に極めて遅々としたものであつたが徐々に改善してゆく傾向が見られ、同年一〇月九日府立医大で血腫剔出手術を受けた直後一時的に言語発声が多くなつたが二日後には再び以前と同程度に困難になつていつた。この一時的な発語の増加は開頭手術又は麻酔による脳神経細胞の一時的な活動性増加に基づくものと考えられる。又、同年一〇月の府立医大入院中及びその退院後同年一一月以降の星ケ丘厚生年金病院通院中の約二年間に次第に言語機能を回復していつたが昭和四九年一一月五日に至つてもなお左右失認又は指の名称失認が認められた。これらの状況からみても血腫剔出手術後に著しい言語機能の回復促進があつたとは認められない。

三(慢性硬膜下血腫について)原告が昭和四七年四月一四日頭部外傷を負つたことが原告の慢性硬膜下血腫を発生させる契機となつたことを否定することはできないけれども、同月二八日から同年五月一五日にみられた頭痛又は頭重については、原告が当時一七才(昭和二九年九月一九日生)であつたこと、原告の一般状態が同月二八日から以後は失語症を除いて極めて順調な経過をたどり次第に起座、歩行、散歩、プラモデル作製などの日常生活能力を回復していつていること、頭痛又は頭重が意識回復に接続した右期間にのみ認められその期間中においても軽快してゆき同年五月一八日には消失し以後再発していないこと、右期間中においても嘔気、うつ血乳頭など他の頭蓋内圧元進症状は認められず、その後は慢性硬膜下血腫の徴候とされる症状が失語症を除いては全く現われなかつたこと、同年一〇月九日の血腫の内容量は三〇ミリリットルにすぎなかつたことなどの事実と、若年者の本疾患にあつては頭痛をはじめとする頭蓋内圧亢進症状は初発かつ必発の臨床症状であつて一旦寛解するも週を追つて増悪する傾向を示すものであること、血腫内容量は平均五〇ないし一〇〇ミリリットルであるが臨床症状を示すにはほぼ二五ミリリットル以上が必要であり一般に時間的経過に従い徐々に又は急速に増大するとされることなどの知見に照らすと、右期間中の頭痛又は頭重は、軽快しつつあつた重篤な脳挫傷に随伴した臨床症状であつて慢性硬膜下血腫の臨床症状ではないものと認めるのが相当である。

又、同年九月二八日府立医大受診時に失語症のみ認められ慢性硬膜下血腫を疑わせる臨床症状が全く認められなかつたことは、同年一〇月九日の血腫剔出手術時の血腫量が三〇ミリリットルにすぎなかつたことに加え、同年一〇月三日の脳血管造影術の際に前大脳動脈の右方偏位がほとんどみられず昭和四八年七月二四日の脳血管造影術の際に左側頭部に無血管野が認められたことから推察される左側頭部の大脳皮質の萎縮的変性があつたことも影響しているものと推認される。

四以上のとおり、原告が昭和四七年四月一四日左側頭部の大脳皮質を含む重篤な脳挫傷に罹患したこと、原告の失語症は発語困難即ちブローカー中枢の損傷を主体とするもので、意識回復後既に認められ、久野病院入通院中、府立医大入院中及び星ケ丘病院通院中に徐々にその言語機能を回復していつたが血腫剔出手術後にその回復促進があつたとは認められないこと、原告の慢性硬膜下血腫は本件事故による頭部外傷により発生する契機が作られたことは否定できないが血腫剔出時においてもその量が約三〇ミリリットルと少なく頭蓋内圧亢進症状すら発症させるに足りないものであつたことなどの事実を総合すると、結局原告の失語症は重篤な脳挫傷によるものであつて、慢性硬膜下血腫が失語症の原因であり又は失語症に有意の悪影響を与えたものとは認めることができず、原告が重篤な脳挫傷に罹患していたこと、意識回復後にみられた頭痛又は頭重は昭和四七年五月中旬以降軽快消失して再発しなかつたこと、同年五月一八日以後は失語症を除いて慢性硬膜下血腫を疑わせるに足りる臨床症状が全くみられず言語機能も遅々としたものではあつたが改善の傾向がみられたことなどの事実及び前記第二の二の2ないし5の知見に照らすと久野医師が原告に慢性硬膜下血腫罹患の疑いをもたずその発見剔出の措置をとらなかつたことをもつて久野医師の診療契約上の義務違反又は不法行為上の過失にあたるということはできない。<以下、省略>

(吉田秀文 村田長生 橋本昇二)

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